またまた遠のいたイタリア行き
コロナ禍前は毎年4月はイタリアのヴェローナで開催されるワイン博覧会Vinitalyに行き、その後に数日をVeneziaで過ごしていた。ヴェローナに入る前にピエモンテ州カネッリ近郊のアグリトゥリズモRupestrとElio Filippinoのワイナリーで日本の垢を洗い流し、ヴェローナやヴェネツィアでは体に充満していたワインを新たに入れ替えて、身も心もリフレッシュする、まさに命の洗濯でもある。新しい写真を撮り、情報を得て帰国し、日本の皆さんとその喜び、幸せを分かち合い、秋にまたワイン好きの仲間たちとイタリア各地を再訪することが毎年の恒例である。今年もやっとコロナ禍が下火になりつつあり、3回目のワクチンも接種したので、4月7日から20日頃まで行くつもりだった。そのために、Elio Filippinoがそろそろ航空券の予約をするからと一昨日、連絡があったのだが、突然、ロシアの一方的なウクライナ侵略が始まり、シベリア上空を飛ぶいつもの空路は使えず、更に、南回りやアンカレッジ経由で行けたとしても、もしかしたら第三次世界大戦になるやもしれない不安がある。ただでさえ、コロナ禍で講座が休講になったり、感染を心配して受講者が減少したり、もうひとつの仕事であるワイン分野も大きな影響があり、家計を支える収入も激減していることもあり、この春のイタリア行きは断念せざるを得なかった。Elio Filippinoにその旨を伝えるととても残念がったが、「には必ず再会しよう。もしもツアーが出来なくても時間さえ作れば航空券を送るからと」ってくれた。1997年、彼と最初に出会い、彼のワイナリーを訪れたのは彼の父親が他界した3か月後だった。私は彼の可能性を信じ、ずっと応援してきた。いつしか彼にとって私は家族同様、彼の父親のような年齢の私を兄弟だと言い、共に葡萄畑とヴェネツィアで過ごす時を毎年楽しみにしてきた。それが今年もだめになってしまった。そう思いつつ、ふぅ~っとため息をついたら、かつて青春時代に聞いたシューベルツ はしだのりひこが歌う「風」が聞こえて来た。東京に生まれ育った私にとっては、イタリアが故郷だ。
室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」と詩を書いたが、私にとってはElio FilippinoのSan CristoforoかSerra Capelliの葡萄畑が私の骨を埋めるところだと思っている。
世界に早く平和が戻り、気の置けない仲間たちとイタリアを再訪する日を待ち望んでいる。願わくば、ほそぼそでも自分の写真作品を求めてくれる人と出会えればなんとか生きながられることができるだろう、その日が来るまでは。
コロナ禍中に他界したエリオのお母さんのお墓まりにも早く行きたい。
ヴェネツィアに行ったら今年の1月にオープンしたこの店にも行きたい
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